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YAMAGATA−KEN KARATEDO FEDERATION


山形県空手道連盟とは

 本県における空手道の普及は、1948年(昭和23年)に佐藤敏男(日本歯科大学OB、元県連副会長、故人)が村山市(当時は楯岡町)で、また同年に石澤佑造(慶応大学OB、元県連副会長、故人)が中山町(当時は長崎町)で、それぞれ指導を始めたのが嚆矢となる。
 翌1949年(昭和24年)には東北の大学で初めて山形大学に空手部が発足し、その後、部活動の傍ら県内において演武会等を開催して、普及を促進した。
 1958年(昭和33年)頃より、県内各地に大学OBを始めとした愛好者による団体や職場のクラブが徐々に誕生した。
 こうしたなかで、1957年(昭和32年)に結成された全日本学生空手道連盟の昭和36年の再編成、1964年(昭和39年)の全日本空手道連盟発足など、全国の情勢を踏まえ、県内空手道界の組織化に対する機運が高まり、1965年(昭和40年)11月、「山形県空手道協会」が大学OB等の代表者によって結成され、初代会長に高山四郎(県議会議員)、副会長に佐藤敏男、石澤佑造、奥山守正(山形大学OB)、理事長飛鳥宗一郎(山形大学OB)、副理事長安藤忠夫(山形大学OB)等の各氏が選任された。
 1969年(昭和44年)1月には、文部大臣より全日本空手道連盟が財団法人として認可されると共に、本協会も同連盟に加盟し、翌1970年(昭和45年)協会を現在の名称である「連盟」と改称した。
 結成当時、加盟数8団体、役員18人でスタートした県連盟も2008年(平成20年)には加盟40団体、役員97人の体制に飛躍し、事業推進組織も確立した。
 県連創設以来、多くの困難を乗り越え、空手道の普及と連盟の強固な組織、基盤づくりにご努力いただいた諸先輩のなかには、既に故人となられた方々も多く、改めて感謝の意を奉げたい。
 県連の歴史のなかで特筆すべきは、1992年(平成4年)本県において開催された第47回「べにばな国体」である。
 1981年(昭和56年)1月、日本体育協会が国体の本県開催申請を受理したことにより、半世紀に一度の大事業への取り組みが現実的なものとなった。
 1983年(昭和58年)の県連総会においては、「選手強化方針」を決定すると共に、順次、財政基盤(国体対策基金の造成等) の確立、競技運営体制の構築などの組織決定と実行に着手した。
 1985年(昭和60年)には、県国体準備室(室長・安藤忠夫)のご配慮により、空手道競技会場地が温海町から主会場地の天童市、県総合運動公園体育館に変更された。また、1990年(平成2年)には、各加盟団体と県連役員の理解と協力のもと、理事長飛鳥宗一郎を本部長とする「国体対策本部」を組織し、総務・渉外、財務、競技力向上、競技運営の各委員会を設け、臨戦体制をしいて取り組みを加速した。
 そして、1992年(平成4年)10月5日から3日間、当時としては空手道競技史上唯一無二となる国体主会場地における開催が実現した。
 この大会においては、@ 天皇・皇后両陛下の競技行幸、ご観覧 A 当時、男女総合成績最高得点72.5点(天皇杯1位、皇后杯1位) の獲得 B 空手道競技初の競技集計に対するコンピュータの導入など、歴史に残る成果をあげることが出来た。
 これも、10数年前から大会の成功をめざして万難を排してご協力いただいた県担当部局、地元天童市、県連関係者みなさまのご尽力によるものと感謝申し上げたい。
 さらに、この大会成功に向けて一致団結して取り組んだ成果は、現在においても、加盟団体と県連を結ぶ団結と融和、相互理解と信頼の形で県連推進のエネルギーとなっている。
 1995年(平成7年)に県連結成30周年、2005年(平成17年)には40周年とそれぞれ祝賀の式典をはじめとした催しを挙行した。
 一方、県連関係者としては、これまでの成果に安住することなく、その都度、歴史を振り返り、次の10年に向けた展望と取り組むべき課題の整理と方針を明らかにして来た。
 今後も、時代の変化に対応した組織体制、事業の革新を図ると共に、競技のみならず空手道の優れた教育機能に着目した青少年の健全育成や高齢化社会に向けた生涯武道の普及推進など今日的課題にも取り組んでいくこととしている。

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 山形県空手道連盟の歴史







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